豊地城跡

更新日:2022年01月17日

所在地:小野市中谷町

畑に囲まれているかつて豊地城のあった森の写真
地面が長方形に彫られている内堀跡の写真

東条川左岸の段丘上に所在する平城で、東西約400メートル、南北約200メートルの城域を有している。東西北の三方を川によって区切られた天然の要害の地にあたり、南側には幅約11メートル、高さ約5メートルの土塁が現存している。かっての城域の中央北側部には、「城畑」と呼ばれる高台があり、その周囲には石積みの堀が存在した。この堀は、幅約3メートル、深さ約0.6メートルの規模で、堀内からは瓦、甕、一石五輪塔などが出土している。昭和55~56年のほ場整備に伴う調査では、溝、柱穴、石敷、埋甕遺構なども確認されている。また、南西側に所在する八幡神社やみやま保育園付近にも堀跡が認められ、城域はさらに広がるものと想定される。
城主は、赤松氏の有力な家臣依藤氏で、享禄3年(1530)に別所村治と柳本賢治との大軍に攻められるもののこれを撃退している。後には、別所重棟の持ち城となり、三木合戦後は羽柴秀吉によって「城割り」が行われている。

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