河合城跡
所在地:小野市新部町


加古川右岸の平地部に築かれた平城で、昭和50年のほ場整備事業により、その景観は惜しくも失われてしまった。幅約12メートル、高さ約3メートルの土塁と幅約9メートル、深さ約3メートルの堀に囲まれた主郭は「源氏屋敷」と呼ばれ、その東と西側にも郭が認められた。城域は、東西約400メートル、南北約300メートルにも広がっており、東播磨でも屈指の規模を持った城といえる。当城は、その規模などから播磨の守護職であった赤松氏が東播磨を拠点として築いたと推測される。
古文献には、「堀殿城」とも記され、嘉吉の乱(1441)の時に、赤松満祐が殺害した将軍足利義教の首をもって立ち寄ったとされている。
更新日:2022年01月17日