太閤渡し~伝承(3)秀吉が加古川を渡る~

 

加古川と東条川が合流する地点にある渡し場で「新部渡し」とも呼ばれています。

  この渡し名は、天正6年(1578)、織田信長により播磨平定の命を受けた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が三木別所氏を攻める途中、ここで河合村の船頭、山田新介らの手を借りていかだで軍勢を渡したことにはじまると伝えられています。これに対するごほうびとして、秀吉は渡し舟の運行を許可し、夫役の免除の墨付(証文)をも与えています。昭和30年頃まで渡し舟の運行が続けられていました。

 ちなみに、渡し舟は代々「太閤丸」と呼ばれ、最後の舟は好古館で展示しています。