にごり池~伝承(2) 重源上人~

 

浄谷町公民館とその南側に残る「塩田池」のことで、「地蔵池」とも呼ばれています。伝承によれば、当池の東方に広がる広大な耕地は、原田野と呼ばれ、浄土寺を建立した重源上人<ちょうげんしょうにん>が開墾した「鹿野ヶ原」にあたるとされています。
 この開墾の時に使用した鋤や鍬を当池で洗ったため、当池が濁るようになり、「にごり池」と呼ばれるようになったとのことです。ただし、重源上人の命日にあたる6月4日の朝方だけは、水が澄むといわれています。