小田万勝楼(おだよろかつ)

 

絵はがきに紹介されているのは、小田町にあった料理旅館、通称「万勝楼(よろかつ)」です。
場所は、現在の小田駐在所と千歳橋の付近でした。当時は、下東條村役場のそばということもあり、地元で大盛況だったそうです。役場の関係者をはじめ、秋にはお伊勢さんの獅子舞が廻って来て宿泊していたとか。戦時中には、神戸から国民学校の児童が疎開先として利用していたこともありました。戦後の昭和29年(1954)、下東條村など6町村が合併し小野市が誕生します。その数年後、村役場はなくなりますが、そのころまで長く地元で旅館をされていたそうです。ちなみに「よろかつ」という呼び名は、この旅館を経営されていた依藤勝次郎さんの名前からきているそうです。勝次郎さんは、地元の消防組(今の消防団)に尽力された人物でもあり、大正2年に「豊勝碑(ほうしょうひ)」という石碑が建てられています。