青野ヶ原演習場(あおのがはらえんしゅうじょう)


青野ヶ原演習場大門廠舎表門(左)と現在の姿(右)
 


 今年9月から10月の約2ヶ月間、オーストリアのウィーンで「青野ヶ原俘虜収容所の里帰り展覧会」が開催されました。その俘虜収容所がおかれた青野ヶ原に関する絵はがきを、シリーズのエピローグとします。時代を遡ること明治21年(1888)、軍用の騎馬などを育てる軍馬育成所が青野ヶ原台地(市域西部)に開所しました。その後、陸軍の演習所にも使われ、大門廠舎(現・西山町)や高岡廠舎(現・加東市・加西市)がつくられましたが、軍隊が常駐するのは昭和15年(1940)に戦車隊ができてからのことでした。戦後、陸上自衛隊の駐屯地が設置されたり、開拓団による居住がはじまり、今にいたります。当時の面影はほとんどなくなりましたが、昔使っていた井戸や廠舎の一部が今も残っています。