世界国尽(くにづくし)~近代教育のめばえ~

 

前回までは、江戸時代の教科書でしたが、今回から明治維新(めいじいしん)後の話へと進みましょう。
明治時代の幕開けとともに、近代的な教育や学校の確立を目指す新政府でしたが、現実は従来同様、寺子屋で往来物の教科書を使って勉強していました。そんな時、新しい教科書としてベストセラーとなった本があります。かの有名な福沢諭吉(ふくざわゆきち)が明治2年(1869)に欧米の地理書を翻訳した『世界国尽』です。全6巻で本文は大きな草書体の文字が使われ、習字の手本用にもされました。また、本文の五七調のリズミカルな文体は、音読に適していました。冒頭部分を引用すると「世界ハ広し 万国は おほしといへと 大凡 五に分けし 名目は 亜細亜阿弗利加(アジアアフリカ) 欧羅巴(ヨーロッパ)(以下略)」といった調子で暗唱でき、これは寺子屋での読み書きを受け継いでいると言えます。この本は大きな反響を呼んで再版され、好古館にも2冊残されています。明治になると、欧米の進んだ書物を翻訳した本が多くつくられました。教科書も自由に発行や採択が出来たため、文明開化の風潮に乗り、福沢諭吉の代表的な著作『学問のすすめ』も、教科書として広く使用されたそうです。重要な出来事は、寺子屋や藩校での教育から、現在の学校での勉学に励むため、明治5年(1872)に学校教育に関するわが国初の法令「学制」ができたこと。小学校8年、中学校6年、大学と定め、小学校は国民全てが就学することと記されていまいた。そうなると学校が必要です。就学率は70%でしたが、子どもは家の手伝いがあり、農閑期のみ通学する例も多かったようです。