夢の森公園 金鑵城遺跡広場

金鑵城遺跡広場

平成8年3月1日に市指定文化財に指定
平成12年8月に「金鑵城遺跡広場」としてオープン

  青野原台地の突出部に築かれた中世の山城です。遠望が良く、三方が崖の要害の地がわざわざ選ばれており、台地が続く西側には掘切(ほりきり)と呼ばれる空堀(からぼり)を設け、守りを固めていました。城部からのびる尾根には櫓台があり、復元した櫓が当遺跡公園のシンボルとなっています。
 当城は、幅20m、深さ11mの堀切を挟んで、主郭(しゅかく)と西の郭(くるわ)があります。この行き来のために、木橋が架けられていました。西の郭から木橋を渡り、左手に折れて少し行くと、主郭への入口である虎口(こぐち)となります。
 虎口は、二つの門があり、二つ目の門を冠木門として復元しています。一つ目の門から二つ目門までの道は、直線的ではなく、直角に右手側に折れるようになっています。これは、門から侵入してきた敵をここで止め、城内から矢などを射かける工夫です。
 主郭内は、東西50m、南北80mの規模で、周囲は土塁(どるい)とよばれる土の壁で囲まれていました。土塁は、西側のものが一番大きく、幅9m、高さ 2m以上あり、上部には柵が設けられていました。城内には、三棟の建物があり、実際に居住の場として利用されていたことが明らかとなっています。


 当城からの眺めは良く、小野市内はもとより多可町、加東市、神戸市内の山々まで見渡すことができます。晴れた日には、明石海峡大橋の主塔まで見えます。
 金鑵城跡という城名の由来は、城内に井戸があり、その井戸の水を「かねのつるべ」で汲み上げていたからとされています。井戸の場所は確定できていませんが、イメージして復元してみました。
  お城ができる以前は、今から2000年前、弥生時代後半に竪穴住居がつくられていました。眺めの良さを生かし、加古川を行き来する人々を見張る役目をもっていたと考えられます。このような役目をもつ遺跡は、高地性集落とよばれています。大概は、海岸沿いにあり、当遺跡は内陸部に発見された珍しい例といえます。